11月19日(木)──曇り後晴れ
行 程 |
東ベルリン経由でロンドンへ空路移動
ホテル到着後自由行動
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演奏会 |
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宿 泊 |
フレマンティエ (ロンドン)
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時 差 |
-9時間(東京比)
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通 貨 |
1ポンド=864円(イギリス)
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長いドイツの旅も終わって、ロンドンへ飛ぶ日である。
西ベルリンからロンドン行きの飛行機に適当な便が無かったため、東ベルリン から出る便に乗ることになったが、これが原因で旅の振り出しに戻ったような不愉快な目に遭った。
まずチェックポイントで東欧圏を出て以来忘れていた、厳しいパスポートコントロールに遭った。
役人の目つきもソ連とまったく同じで、うっ かりするとわずかに覚えているロシア語が出そうになる。この無表情な兵隊がバスに乗り込んできて、写真を見ながら、パスポートと顔を何回も見比べる首実検が行われる。その上荷物からバスの下まで入念にチェックを行う。
緊張した、長い時間の経過が、たまらなく苛立たしい。
しかも、東西の干渉地帯には車が直進できないように、コンクリートの障害物が設置されていて、バスがゆっくりとジグザグ運転をしながら通り抜けならなくてはならないという、念の入れ方である。
空港に着くと例のとおり殺風景で、あの東欧特有の匂いがプーンと匂ってくる。
散々待たされたあげく、搭乗のときになって、手荷物の重量が制限を越えているので、すべての荷物を再計量のすえ、総計315マルクの課徴金を取られてしまった。
この交渉に当たった女性の係員は長峰氏の必死のウインクにも全く動じず、ばっちり計量したのはお見事であった。
その上、搭乗した飛行機がポーランド航空のイリュージン(ソ連製)、乱暴な操縦に気分が悪くなる者が続出した。
私の隣りの席にはドイツ人の田舎おやじが座っていて、シートベルトから食事・トイレまで全部教えてやらなければ、何も出来ないという、手間のかかる相手だった。おまけに、飛行機は初めてらしく、手に十字架をしっかり握って青くなっている。
ロンドンの空港は快晴で気分が良かったが、空港は荷物の盗難や抜き取りが多発していると聞いたので油断が出来ない。
両替所へ行って両替をしてみると、さすが、グレート・ブリテンだけあって小銭に至るまで立派なこと、特に2ペンスコインなど、まったく使い物にもならないような価値しかないが、やけに大きくて重い。
イギリスは現在10進法・12進法・20進法が混ざり合った複雑怪奇な通貨体系をとっているが、来年10進法に変えるため、移行措置として様々の通貨が出回っていて、複雑極まりない。
女性の現地マネェージャーが迎えに来て、我々のコンサートのある日に園田高弘氏のリサイタルがあり、こちらのチケットの売れ行きが心配だと言っている。
彼女はベルリンの客の入りはどうだったと、しきりに気にしている。
ホテルはウエスト・クロムウェル通りあり、会場のクイーン・エリザベスホールまではかなり離れているようである。街並は煙突だらけだが、思ったよりスモッグはない。
ここのホテルもスペイン人のボーイを使っていて、結構勘定をごまかしたりする。
この、外国人労働者の進出はヨーロッパの大都会共通の現象のようで、それに伴う問題も出てきているようだ。
それ以上に困ったことは、狭くて、ペンションに毛の生えたようなホテルはロフトにまで客室があり、私の部屋は梯子のような階段を登った所にあり、20キロを優に超えるスーツケースをどうやって運ぶか、知恵を絞らなければならない。
結局頭のうえにスーツケースを乗せて押し上げるしか手はなかった。大汗をかいて部屋まで運び込んだものの、二晩寝るとまた、移動のため、降ろさなければならない。
今度は、吊り下げておろすか、頭の上で支えて下すか思案のしどころである。
4時すぎになって、やっと手が空いたので、地下鉄(ロンドンではチューブと云うらしい)でピカデリー・サーカスまで出かける。
ロンドンの地下鉄は解り易く便利である。繁華街はさすがに賑わっているが、清掃労働者のストとやらで、街中がやけに汚い。ロンドンのストは有名で常に何かのストをやっているらしいが、一度ストに入ると徹底抗戦するため中々解決しないようだ。
せっかく街へ出てもあまり収穫はなかったが、バッキンガム宮殿の衛兵の人形を買っただけで戻ってきた。
夜になって、ロンドンに在留する、桐朋学園女子中学の卒業生が、父兄と一緒に、おにぎりを沢山差し入れてくれた。有難いことである。
この、ウエスト・クロムウェル通りは車の往来が激しく、夜中まで騒音が絶えない。