11月18日(水)──雨後曇り
行 程 |
夕方まで自由行動
夕刻〜日本大使館のパーティー
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演奏会 |
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宿 泊 |
シュタインプラッツ (ベルリン)
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時 差 |
-8時間(東京比)
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通 貨 |
1マルク=90円(ドイツ)
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11時頃にホテルを出て、東西ベルリンの国境のひとつでアメリカが管理している、チェックポイント・チャーリーヘ行ってみる。
雨のチェックポイントはまた、一入重苦しく、西ベルリンの繁栄と東ベルリンの、西に面した窓を全部塞いだ廃墟のような建物が壁を挟んで向き合っている。
もちろん我々が東側に入れるわけもなく、高い塔の上から銃を持った東側の警備兵が見張っているのをな垣間見るだけである。国境のすぐそばにある、展示館に展示されているものも、この不自然な国境によって引き裂かれた人々の血と涙の記録ばかりである。同じ国民がこの惨い定めによって、こんなに憎しみ合い、反面離ればなれになった、肉親を求めている姿が筆舌に尽くしがたい重圧感をもって迫ってくる。
帰りはタクシーでオイローパ・ツェンターへ行ってみる。
ここはデラックスな観光場といったところだが、ついふらふらと「レストラン東京」へ入ってしまう。昨夜も和食を食べたというのに、何という堕落ぶりであろう。この店には日本人ばかりでなく、ドイツ人もかなり利用しているようだが、和服を着た女性にすき焼きなどを給仕して貰うのは、長期滞在している日本人には、やはり、こたえられないだろう。
夜、招待された日本総領事館でのパーティーでも豊富な日本料理が並べられたが、すっかりヨーロッパずれしている我々には連日の日本料理に何か不思議な気がして「日本に帰る楽しみが無くなったような気がする」と言う者も出てきた。
メンバー達より一足はやく大使館を失礼して今夜のベルリンフィルの演奏会「バッハのロ短調ミサ」の演奏会のチケットを受け取りにフィルハーモニーまでタクシーを飛ばす。入場料は4マルク(360円)、まったく信じられない値段である。
8時間際に、やっと間に合ってメンバー達がバスで到着する。
開演のベルにせきたてられながら入場すると、さすがベルリンフィルの本拠だけあって、外観が変な金色で、不思議な形をしているため、カラヤンのサーカス小屋と呼ばれているが、斬新な素晴らしいホールである。今夜はベルリンフィルハーモニー合唱団のコンサートで指揮も合唱団の指揮者がしていたが、さすが、ベルリンフィルで、やや気を抜いた風でもあったが、実に美しい音であった。
ベルリンの街は種々雑多な人種の人たちが歩いており。あまり異国に居るという気がしない。通貨も大ざっぱに1マルク100円で換算すれば良いので気が楽である。それでも、繁華街のど真ん中にカイザー・ヴィィルヘルム2世記念教会が戦禍遭った古く壊れたものと、新しく再建されたものが並んで建っているのを見ると、戦禍の跡を探そうとしても難しいような、復興仕方とはどこか違って、戦争に対する戒めをこのような形で伝えているのが印象に残った。
冷戦時代の東西ベルリン
第二次世界大戦の結果、世界は大きく変わったが、いわゆる冷戦といわれる、社会主義国と資本主義国の対立は厳しく、その象徴的な例が東西ベルリンである。
いわゆる鉄のカーテンに仕切られたドイツの首都ベルリンは東西に分割され、東西対立のショーウインドウと云われたほど、特異な都市になっていた。国境には、ベルリンの壁といわれる、コンクリート製の壁が築かれ、国境検問所は障害物をおいて車が直進できないようにしてあったり、ありとあらゆる手を使って分断されていた。
11月19日に東ベルリンの空港からロンドンへ飛ぶことになったため、東ベルリンを通りぬけたが、その暗い雰囲気に押しつぶされそうな気分だった。街の壁には労働を賛美する壁画が描かれ、人もまばらで、何から何まで陰鬱だった。一方西ベルリンは他の西欧諸国と同じ華やかな繁華街があり、活気に満ち溢れていた。
1970から20年経った1990年に斎藤記念オーケストラに同行してベルリンを訪れた時は、一年前に東西の壁が壊され、東西統一がなされたあとであった。懐かしさにチェックポイント・チャーリーのあった場所に行ってみると、8月という季節もあってか、全く昔の面影はなく、普通の街に変貌していた。
ただ、検問所の掲示板が残っていたり、幻の迷車といわれた「トラバント」が走っていたのはびっくりした。トラバントは東ドイツで開発された、水平2気筒、空冷エンジンを積み、ボディは強化プラスティックにボール紙を混入したぺらぺらのボディという世にも珍しい代物である。
帰りにうっかり旧東側のタクシーに乗ったら、西ベルリンの繁華街クーダムにある5星ホテル、ケンピンスキーを運転手が知らず、途中で下され、西側のタクシーに乗り継いでやっと戻ってきた。
その時(1990年)の写真が出てきたので見て頂こうと思う。(2013.04.30)
様々なコンサート・ホール
コンサート・ホールは大きく分けて3つに分類される。
まず、多目的ホール(日本では昔はほとんどこのスタイルであった。例えば日比谷公会堂)これは、演説会から映画・音楽会、場合によってはオペラまでこなすという、便利なようで、どれもしっくりこないという代物。
ヨーロッパではいわゆるシューボクス型(代表的なものとして、ヴィーンの楽友教会大ホール)といって靴箱のように長方形のもの、そして最近はやっているのがヴィンヤード型(ブドウ畑のように客席がいくつかのブロックに分かれて配置されている、やや扇型のもの)である。
ヴィンヤード型の代表的なものがベルリン・フィルハーモニー・ホールである。(日本ではサントリー・ホールなど)
このホールは1963年にハンス・シャロウンの設計により建てられたものであるが、当時の指揮者であったカラヤンの意向も大きく影響している、内部のデザインは今では別に奇抜ではないが、どの席からでもステージが良く見えるという点でも優れている。収容人員は2,440人、いろいろ手を加えて、現在では音響的にも優れたホールと云われている。
ただ、外観の異様さは、カラヤンのサーカス小屋というあだ名を頂戴したほど変な建物である。
私が体験したホールの中にはいろいろ工夫をして改造しても音響の良くないホールは沢山あり、(ニューヨークのエルビー・フィッシャーホール、ロンドンのバービカン・ホールなど)東京文化会館などは多目的ホールではあるが音響的には自慢できるホールである。
この他にヨーロッパでは馬蹄形の伝統的なオペラハウス、宮殿の大広間(形としてはシュウボックス型と言えるが)などで、音楽会が開かれている。(2013.04.30)