TOHO見聞録1970/著者プロフィール&フォーム

このページの最終更新●2012.09.26

著者プロフィール

村上 綜
Osamu Murakami

1935年生まれ。桐朋学園の第一期生。東京芸術大学声楽科を卒業後、桐朋学園に勤務。
1981年より桐朋学園大学教授として声楽・合唱・教育法を担当。その他、校務として学生部長、「子供のための音楽教室」室長を歴任。

また、1970年の欧州演奏旅行への参加を機に、1974年のアメリカ演奏旅行(国連デーコンサートを中心にアメリカ各地を巡回)、1991年のアメリカ演奏旅行(カーネギー・ホール100周年記念演奏会を中心にアメリカ各地を巡回)、1991年のフランス演奏旅行(南フランスとパリを巡回)など、桐朋学園オーケストラの引率として国内外の演奏旅行に同行する。

1984年には、斎藤秀雄氏の10周忌にあたり、小澤征爾氏・秋山和慶氏・江戸英雄氏と共に発起人となって「斎藤秀雄メモリアルコンサート」を企画。東京と大阪で演奏会を開催した(これが契機となって後の「サイトウ・キネン・オーケストラ」が生まれた)。

定年退職後は、男声コーラスや女声コーラスなど、アマチュアの合唱指導もおこなっている。二期会会員。








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1935年 (昭和10年)
8月3日、旧満州国奉天(現在の中国東北部瀋陽市)に生まれる。
父次也は南満州鉄道株式会社の建築技師。
1947年(昭和22年)
終戦を迎えて2年目に帰国。
一時千葉県柏市の親戚宅に身を寄せていたが、東京都牛込に居を移す。
1951年(昭和26年)
牛込第二中学校を卒業。
音楽の道に入ろうとするが、父の反対にあい、都立戸山高校を受験。
1952年(昭和27年)
戸山高校を1年で中退し、この年に創立された桐朋学園女子高校音楽科(共学)の一期生として入学。
伊藤武雄氏に師事。
1956年(昭和31年)
東京芸術大学音楽学部声楽科に入学。
渡辺高之助氏に師事。
1960年(昭和35年)〜2005年(平成17年)
桐朋学園に勤務。

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