10月25日(日)──快晴
行 程 |
午前→市内観光
午後→自由行動
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演奏会 |
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宿 泊 |
ホテル・ディアナ(ローマ)
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時 差 |
-8時間(東京比)
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通 貨 |
100リラ=約58円(イタリア)
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日本を出てからちょうど1ヶ月が過ぎた。
あと3日で中日を迎えるが、この1ヶ月はとにかく長かった。
今日は珍しく完全終日フリータイムということで、メンバー全員で心ゆくまで「ローマの休日」を楽しむことになった。
メンバーたちも久々に解放感に浸ってはしゃいでいる。
午前中は、ベテラン日本人ガイドの久保田さんの案内で「ピンチョの丘」「サン・ピエトロ寺院」「聖セバスチアンのカタコンベ」「コロッセオ」「カラカラ浴場跡」などを廻った。
ローマはちょっと掘ると遺跡にぶつかり、都市の近代化がなかなか難しいと言われているが、逆に言えばこれがある限りは観光客も後を絶たず、ヨーロッパ文明の故郷の1つとして左団扇でやっていけるということでもある。
ローマ観光最大の見せ場といえば、やはりサン・ピエトロ寺院だろう。
正確にいえばここは「イタリア」ではなく、「ヴァチカン市国」という世界最小の国家の中に位置する。ヴァチカン市国はカトリックの総本山であるサン・ピエトロ寺院を中心とする国家で、ローマ教皇が住んでいる場所だ。
ヴァチカンの周辺は門前町の様相を呈していて、世界中から集まる参拝者や観光客を相手にキリスト教関連の品々を売る店が軒を並べている。
この日は日曜でミサがおこなわれていたため、広場は人であふれかえっていた。
といってもその大半は観光客で、善男善女とは言い難い連中がウロウロしている。
あまりの人混みに、慎重派のトーサイは「こんなところに出て行ったら迷子になる。バスから外観を見ればいい」と言い出し、「ここまで来て寺院の中に入らないなんて信じられない!」と主張する久保田さんと口論になった。
おもしろがったメンバーが後ろの方で「そうだよなー。ここまで来て中に入らなかったら後々まで無教養だって言われちゃうよなー」などとささやいている。
結局、久保田さんの主張が通り、寺院内部を見学することになった。
サン・ピエトロ寺院の内部の荘厳さとスケールの大きさは筆舌に尽くしがたいほどだった。
ミケランジェロが最初に作ったピエタ像もすばらしかったし、見事な装飾の数々には黄金というものに対する認識が変わるほどの感銘をうけた。
中でももっとも印象に残ったのはブロンズ製のサン・ピエトロ像である。
足の甲の部分だけがつるつるに磨り減っているのだ。
不思議に思って見ていると、参拝者がみな像の足をなでたり、口づけをしたりしている。
どうやらその繰り返しでこんな状態になってしまったらしい。
これだけ大勢の人が触ったところに口をつけるなんて衛生的にいかがなものかとも思ったが、ここまで愛され、慕われている像なのだと心を打たれた。
次は、レスピーギの『ローマの松』でお馴染みの古代ローマのアッピア旧街道を通り、カタコンベへ向かったが、狭い街道は日曜日の午後を郊外で過ごそうする人々の車で大渋滞!
久しぶりで交通麻痺に遭遇した。
途中、ドミネ・クオ・ヴァディス教会の側を通る。
ここは、小説『クオ・ヴァディス』の舞台となったところだ。
キリストの死後、弟子のペテロたちがローマで布教を続けていたが、あまりにひどいキリスト教迫害が続くため、国外に脱出する者も数多くなってきた。
最後までローマにとどまろうとしていたペテロもついにローマを離れることを決意し、夜中にアッピア街道を歩いていた。
すると夜明けの光の中にキリストの姿が現れた。
ペテロは驚き、ひざまづいて尋ねた。
「ドミネ、クオ・ヴァディス?」(主よ何処へ行かれるのですか?)
キリストの答えは「ローマへ。私の民を救うため、今一度十字架にかけられる」というものであった。
ペテロは自分の弱さを恥じ、そのままローマに戻って殉教した。
その殉教場所に建てられたのがサン・ピエトロ寺院である(ペテロはキリストと同じ姿で処刑されるのは恐れ多いからと逆さまに磔になったと言われている)。
カタコンベはこの地域独特の地質を利用した地下墓地兼集会所で、公認される前のキリスト教徒が迫害から逃れるために作ったものである。
内部は地下4階層にもおよび、鍾乳洞のような入り組んだ通路は観光客などが一人で入ったら、たちまち迷子になりそうだ。
のどかな田園の下に陰惨な地下墓地が隠されているところに、栄華を極めたローマの一面を見たような気がした。
午後は自由行動になる。
街へ出て、トレヴィの泉で再びこの街を訪れることができるようにとお定まりの願かけをしたり、ナボナ広場でベルニーニの見事な噴水を見たり、サンタ・マリア・マッジョーレ教会などの名所を廻ったり、焼き栗を買ったりして、ささやかなアヴァンチュールを楽しんだ。
この街も仕事以外で再訪して心行くまで自由に歴史散策をしてみたい街である。