10月2日(金)──晴れのち曇り
行 程 |
午前→観光orレニングラード・フィル練習見学
午後→リハーサル
19:30〜本番(3回目)
本番終了後、夜行列車でモスクワへ
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---|---|
演奏会 |
フィルハーモニー・ボリショイ・ザール(レニングラード)
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宿 泊 |
車中泊
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時 差 |
-6時間(東京比)
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通 貨 |
1ルーブル=約400円(ソビエト連邦)
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行 程 |
午前→観光orレニングラード・フィル練習見学
午後→リハーサル
19:30〜本番(3回目)
本番終了後、夜行列車でモスクワへ
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演奏会 |
フィルハーモニー・ボリショイ・ザール(レニングラード)
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宿 泊 |
車中泊
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時 差 |
-6時間(東京比)
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通 貨 |
1ルーブル=約400円(ソビエト連邦)
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朝6時に起床。モスクワに続いてレニングラードでも一人部屋を与えられ、夕べもぐっすり眠ることができた。
それにしても広い部屋だ。70平米はあるだろうか。内装も重厚でいかにもヨーロッパの歴史あるホテルといった感じだ。
川崎氏、入野団長とともに、またまた早朝の散歩に出かける。
ネフスキー通りの落ち着いた町並みを眺めながらブラブラと30分ほど歩くと公園に出た。公園の奥では可愛いピオネール(ソ連少年団)たちが朝の体操をしている。
宮殿広場では高いオベリスクの周りを100人ほどの兵隊が行進していて、朝もやの中に軍楽隊のバンドの音がこだましている。
この街も朝は早いが、不思議なことにモスクワのような行列は見られなかった。
まもなくネヴァ川の河畔に出た。
広大な川面を渡ってくる冷たい風を頬に受けながら、対岸のペトロハヴァロスク要塞や海軍博物館を眺める。
とてつもなく広い川幅を見ていると自分の気持ちまで一緒に広がっていくような気がした。
気温は5度ぐらいか。かなり寒いが、すがすがしい空気だった。
白夜の夏が終わって今は短い秋なのだろうが、冷たい空気に早くも長い冬の訪れを感じる。
日本を出てから毎日天気が悪かったが、今朝は久しぶりにわずかながら朝日が差していた。ようやく晴れるのかなと期待したが、8時にはもう薄曇りになってしまった。
(註*レニングラードは年間で30日くらいしか晴れることがないと言われるほど雨の多い街である)
Ленинградская 1970
Санкт-Петербург 2010
今日の午前中は、希望別に「市内観光組」と「レニングラード・フィル練習見学組」の二班にわかれて行動することになった。
大部分のメンバーは観光を選んだが、私は練習見学組の引率を請け負った。
観光に興味がなかったからではない。むしろ私はこの街が大変気に入ってしまい、将来、観光だけのためにまた必ずここを訪れようと心に決めたのである。
そのときはエルミタージュを思う存分まわってやるぞ!
世界的に実力を認められているレニングラード・フィルは、ムラヴィンスキーというきわめて厳格な主席指揮者が、1938年から30年以上にわたって徹底した厳しい指導を行っていることで有名である。
つい最近日本へ演奏旅行に来たばかりの団員たちは、親しみにあふれた態度で我々を迎えいれてくれた。
練習をおこなっていた指揮者は若手のディミトリーエフで、ショスタコーヴィッチの交響曲第9番のリハーサルであったが、さすがにレベルが高いオーケストラだった。しかも個々のプレーヤーの特質がよく生かされている。
ディミトリーエフも期待される若手だけに、大変肌理の細かい練習をしていたし、メンバーたちも全員が音楽創りに参加するという態度で、逆に指揮者に注文をつける場面もあったりして、終始なごやかな練習風景であった。
興味深かったのは、このオーケストラの響きが、このホールで日々作られてきた固有のものであるということだ。
これは、定期演奏会をおこなうホールで日頃から練習を重ねることができるという環境があってのことで、ホール数が少ない日本からみると夢のように贅沢なことである。
日本のオーケストラがこのような環境を手に入れられるのはいったいいつのことだろうか。
レニングラードでの本番第二夜は、昨夜の評判が伝わったのか、超満員の入りで、客席の周りの回廊にも聴衆が鈴なりだった。
曲目は、ヴィヴァルディ『四季』、モーツァルト『ディヴェルティメント』(以上2曲は斎藤秀雄指揮)、バルトーク『ディヴェルティメント』(小泉紘指揮)の3曲。
アンコールが終わったあとも、誰一人席をたつことなく惜しみない拍手を送ってくれた聴衆に胸が熱くなったが、残念ながら終演後はすぐに夜行列車に乗ってモスクワに戻らなければならないため、一同後ろ髪を引かれる思いでホールを後にした。
夕刊のレニングラード紙に昨夜の批評が出ていたが、「海の向こうからやってきた音楽にとりつかれた客人たち」というタイトルで、「残念ながら、これほど見事なチャイコフスキーは我が国でもめったに聴くことはできない」「非の打ちどころのない技術的完成と高い芸術性に驚嘆」「レニングラード市民は真の楽しみを与えられた」などと最上級の褒め言葉が並んでいた。
こうして幸せなレニングラード滞在の2日間が終わった。