9月30日(水)──雨
行 程 |
午前→市内観光
午後→休養
23:40発の夜行列車でレニングラードへ移動
|
---|---|
演奏会 |
───
|
宿 泊 |
車中泊
|
時 差 |
-6時間(東京比)
|
通 貨 |
1ルーブル=約400円(ソビエト連邦)
|
今夜は夜行でレニングラード(註*現サンクト・ペテルブルク)へ移動することになっているが、それまではモスクワでゆっくり過ごせることになった。
昨夜の成功でひとまず安心した私は、川崎氏、団長の入野氏と連れ立ってまたまた朝の散歩に出かける。
今日は雨が降っている上に気温もかなり低い。日本の冬支度でちょうど良いくらいの気温である。
しかし、もともと湿度が低いせいだろうか。雨に濡れてもすぐに乾いてしまう。こちらの人がみな傘をささないのはそのせいなのかもしれない。
雨に濡れたイリインカ通り。左の建物はグム百貨店。
街は広々としていて、車もソ連製のチャイカ、モスクヴィッチなどがまばらに走っているだけなので、ゴミゴミした東京と違って非常に歩きやすい。
レーニン廟の前には、今日も早朝から100人ほどの行列ができていた。
10時半からゴス・コンツェルトが企画した半日市内ツアーにのる。
まず最初に、グネーシン音楽院を見学した。
ホールでは中学生ぐらいの子供たちのオーケストラがベートーヴェンの交響曲8番を練習していたが、荒っぽい音でいただけなかった。おまけにピッチが不揃いなのがどうにも気持ちが悪い。
指揮者は大声を張り上げて叱咤激励するものの、細部にはお構いなしだった。
しかし、ホールは小さいながらもなかなか雰囲気の良いものであった。
その後、チェロとトロンボーンのレッスンを覗き、ソルフェージュのクラスを見せてもらった。
ティーチングマシーンやスライドで映し出される楽譜、暗譜のための録音など、教具にはさまざまな工夫がこらされていたが、どうやら初級クラスのようで内容はきわめて簡単だった。
「やってみろ」と言われたのでメンバーが挑戦したが、あまりにも楽々とこなしてしまうのでびっくりされた。
次に訪ねたのはボリショイ劇場だったが、残念ながら中へは入れてもらえなかった。
最後に一昨日公開ゲネをおこなったモスクワ大学近くの雀が丘展望台へ行く。
すばらしい見晴らしの観光スポットだが、雨では散歩もままならない。
15分間だけ自由行動にしたが、気温がどんどん下がってきてトーサイが「学生たちが風邪をひかないか」と心配し始めた。
しかし、普段厳重に管理されているだけに、少しでも自由行動があれば、学生たちは放牧された羊のように散らばってしまう。
バスのなかでイライラしながら待っていたトーサイが、ついに我慢しきれずに「ホイッスルを吹くように」と命令してきた。
このホイッスルはいざという時に使おうと持ってきたものだが、早くも登場することになってしまった。
ところが、モスクワ大学周辺は異常に警備が厳しくて、20メートルおきに自動小銃を持った兵隊が見張っている。こんなところでうっかり笛など吹いたら、発砲されかねない。
しかたがないので、通訳を連れて警備兵のところへ行き、「こういう事情で笛を吹かせてほしい」とわざわざ説明するという面倒な事態になってしまった。
午後はホテル内で自由行動となった。
また、ドルショップをぶらついて琥珀製品など買い入れる。
名物のキャヴィアは重要な輸出品なのか、意外と高価である。
ただ、レコードは馬鹿に安い。しかもソ連でしか手に入らない珍品があったり、シャリアピン全集が一枚あたり400円程度で売られていたりする。
ほしいものはたくさんあったが、まだ旅行は始まったばかりだ。あと2ヶ月旅をすることを考えると買い物は慎重にしなければならないだろう。
夜の11時40分発の夜行急行「赤い矢号」でレニングラードへ向かう。
ソ連では列車の目的地が出発駅の名前になっている。
キエフに行く列車はキエフ駅から出発、レニングラードに行く列車はレニングラード駅から出発というわけだ。なるほど、合理的である。
時刻表ではレニングラードには明朝7時に着くことになっているが、ニコライおやじは頑強に8時だと言い張る。
この夜行列車はソ連が誇る列車であるが、3人定員のコンパートメントは思った以上に快適だった。