9月29日(火)──曇りのち晴れ
行 程 |
午前→休養
午後→リハーサル
19:30〜本番(1回目)
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演奏会 |
チャイコフスキーホール(モスクワ)
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宿 泊 |
ホテル・ロシア(モスクワ)
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時 差 |
-6時間(東京比)
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通 貨 |
1ルーブル=約400円(ソビエト連邦)
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午前7時に起床。
朝風呂をつかって昨日の疲れもすっかりとれた。
食堂へ行くとトーサイが憔悴しきった表情で座っている。
昨日の事件で一番ダメージを受けたのは間違いなくトーサイだろう。夕べは悔しくて悔しくて一睡もできなかったという。
対照的に、事件の張本人であるニコライおやじは睡眠充分といった晴れやかな顔で現れ、「おっはよう!」と妙なアクセントの日本語で愛嬌をふりまくと、豪快に朝食をたいらげた。
「あいつ、昨日あれだけのヘマをしでかしておきながら、よくもあんなにうまそうにメシが食えるもんだね」
さすがのトーサイもニコライ親父の神経の太さには完敗といった感じだった。
朝食後、ホテルのドルショップで娘のために民族衣装を着た人形1対を1ドル13セント(約550円)で買った。
大きい札を出したら、なんとお釣の小銭がオランダのギルダー、ベルギーのフラン、アメリカのセントのごちゃ混ぜで返ってきた!
ドルショップ
当時のソ連では、外貨を集めるために外国人が宿泊するホテルに外貨(おもに米ドル)しか使えないドルショップを開いていた。町中に物がなくてもここではいろいろなものが手に入るため、ロシア人はドルがほしくて必死だった。輸入品が手に入れば、転売して大きな利益を得ることも可能だからだ。今回の旅行中にも、何度か部屋を訪ねて来たロシア人に「ルーブルをドルに替えてくれないか?」と交渉をもちかけられたことがあった。各階に鍵番おばさんが配置されているのはそういう行為が起きないように見張るためでもある。(2012.09.29)
例によって時間通りに来ないバスに不安が募る。
ニコライ氏に「今日は本当に大丈夫なんだろうな」と念押ししたら「あなたがたは我々ソ連政府が信用できないのか」と大見得をきられた。
まったくどの口でそんなことが言えるのだろうとあっけにとられてしまった。
チャイコフスキーホール外観。
ホテル到着は遅れたものの、ホールにはなんとかそれほど遅れずに着くことができた。
世界的にその名を知られるチャイコフスキーホールがどんなホールなのか、早くステージの上から客席を眺めてみたくて胸が高鳴った。
メンバーは楽器の点検に向かったが、私はいちはやくホール内に入り、ステージの上にのぼった。
白を基調とした内装に椅子のブルーが美しく映えてさすがに見事なホールである。
細部の細工はソ連らしく粗雑だが、遠目には実に美しく気品がある。
と、その瞬間、後ろからコートの襟をむんずとつかまれた。
振り向くと、重量級のホールの管理人のおばさんが恐ろしい形相で立っている。
何を言ってるのかわからないが、どうやら「神聖なステージにコートを着たまま上がるとはなにごとだ」と怒っているらしい。
あわててステージをおりて楽屋にコートを置きにいった。
まったくロシア女性の迫力はすさまじい破壊力だ。
まもなくメンバーが集まり、練習が始まった。
と、思いきや、突然カーテンの後ろから「ブオーッ」という大音響が鳴りだして仰天した。
音の正体はパイプオルガンだった。
小屋付きの調律師が勝手にオルガンの調律を始めたのだ。
マネージャー→通訳→ゴス・コンツェルトと経由して文句を言ったところ、逆コースで「このホールはいつも使用中で調律ができない。いったいいつ俺の仕事をさせてくれるんだ!」と文句が返ってきた。
なんとか帰ってもらうまで30分ほどかかった。
まったく一寸先は何が起こるかわからない国だ。
今度こそようやく練習がスタートした。
こうなるとスタッフは俄然暇になる。
何か揉め事があったときには当然その場にいなければまずいが、長年のつきあいでどんな時にトラブルが起きるかだいたい見当がつくようになったので、リハーサルの合間をぬって街へ出てみた。
お菓子屋が目に入ったので、中に入ってチョコレートを買うことにした。
最初は普通にお金を払って品物をもらおうとしたが、またまた「ニエット(No)」と言われる。
まわりの人の買い方を観察したところ、どうやらこちらでは売り子にお金を渡さないシステムになっているらしいことがわかった。
そのシステムはおそろしく手間のかかるものだった。
まず、ショーケースの中の買いたい品物の値段を確認する。
私が買おうとした板チョコは33カペイク(約135円)だった。
次に、別の場所にあるキャッシャーまで移動し、20人くらいの行列に並ぶ。
自分の番がまわってきたら、舌を噛みそうになりながら「トゥリツァチツリーカペイク」と値段を言って金を払う。
すると「33カペイク」と打たれたレシートを渡される。
そのレシートを持ってまたショーケースに戻って並ぶ。
自分の番がまわってきたらほしい品物を指をさしてレシートを渡す。
ここでようやく品物が手に入るという寸法だ。
かくして板チョコ1枚買うのに20分かかることになる。
おそらく従業員が金銭をくすねないようにというセキュリティーなのだろう。
あまりにも非効率的で驚いたが、誰も文句を言わず、順番を争うわけでもなく、ただ黙々と並んでいる。
むしろロシア人は行列が長ければ長いほど「良いもの」が手に入ると思っているらしく、長い行列はさらに長くなる。
これも「生活の知恵」というものなのだろう。
午後7時30分。
ついに初日の演奏会が幕を開けた。
曲目は、ヘンデル『コンチェルト・グロッソ』、モーツァルト『ディヴェルティメント』、ヴォルフ『イタリアン・セレナーデ』(以上3曲は斎藤秀雄指揮)、チャイコフスキー『弦楽セレナーデ』、小山清茂『アイヌの歌』(以上2曲は秋山和慶指揮)の5曲。
客は7割ほどの入りだったが、あのチャイコフスキーホールで、我々の弦楽オーケストラが演奏するチャイコフスキーの弦楽セレナーデの冒頭のテュッティが高らかに鳴り響いた瞬間は、やはり「やった!」という気持ちが腹の底から沸いてきて鳥肌がたった。
それにしても、このホールのアコースティックは絶品だった。
柔らかく、豊かで、しかも音の分離が素晴らしい。
コンサートホールとはかくあるべし…としみじみ感心した。
休憩時間には、以前桐朋に教えに来られたことのあるヴァイオリンのヤンケレヴィッチ教授や指揮者のバルシャイ氏などが楽屋を訪ねてこられ、口々に最大級の賛辞を送ってくれた。
ここの楽屋はなかなか立派ではあったが、電球がすべて透明ガラスで、鏡は例のとおりデコボコときているから非常に落ち着かなかった。
そういえば、ソ連に来てからすりガラスの電球というものを見たことがない。
アンコールでパガニーニの『無窮動』を全員で一糸乱れず弾ききったとき、チャイコフスキーホールはソ連式拍手で沸きに沸いた。
(註*『無窮動』は独奏でも困難ないわゆる超絶技巧の曲。これを合奏で一人が弾いているかのように演奏するのはきわめて高度な訓練の賜物だった。ソ連式拍手とは、普通の拍手が途中から手拍子に変わり、それがピッタリとシンクロしたままどんどんテンポアップしていくもの。今ではミュージカルなどで日本でも普通におこなわれるようになっているが、当時はそんなものを見たことがなかったのでびっくりした)
ようやくたどりついた第一回目の本番だったが、あまりにも拍手がいつまでも鳴り止まないため、最後はメンバーを舞台からひきあげさせたほどだった。
大成功である!
ポスター前の川崎氏と梅津嬢。キリル文字で「弦楽オーケストラ」「桐朋学園」と書かれている。下の方には「サイトウ」「アキヤマ」の名前も見える。