TOHO見聞録1970/vol.57（ロンドン～ハッダースフィールド）

珍道中とイギリス人気質

　最初の予定では6時半出発になっていたが、1時間遅れで良いことになった。何だか今日の予定は怪しげでシュミット氏も自信がなさそうだ。大英帝国まできてハンガリーの田舎のようなことがあっては困るのだが、誰も行ったことのない所では手の打ちようがない。
　ロンドンの朝食はジュース・トースト・卵料理・コーヒー或いは紅茶と充実しており、コンチネンタル・ブレックファーストに慣らされた我々には大変なご馳走である。その上、「卵は何分茹でますか」と聞きにきたりする。「3分にしてくれ」と言うと「イェス・サー」と言って、１分もたたないうちに、冷えた茹で卵を持ってきたりする所が人を食っている。

　結局8時にバスが出発して、田舎道を延々と走る。やはりイギリスは島国なだけに、起伏があり、どことなく日本に似ている。
　午前11時名前も判らぬ田舎町にバスが入って、小さなデパート風の店の前で止まり、ここで昼食だという。シュミット氏と２階の食堂へいってみると、12時にならないと食事は出来ないと、強烈な訛りのある英語で言う。シュミット氏も、この訛りには対応出来ないらしく、何度も聞き返した挙げ句、私に「なんて言ってるんだ？」ときくので「通訳はあんたの仕事だろうが！」と答えると大笑いして「お前の英語と似ているので、判るのか思ったんだが？」と言ってまた大笑い。
　仕方なしに１時間の自由行動にする。

　10分も歩けばメインストリートを抜けてしまうような街で、すぐに飽きてしまう。
　80人近い我々のグループが急にこんな狭いメインストリートに放り出された訳だから、瞬く間に日本人だらけになってしまう。メンバーも退屈してお互いにすれ違うたびに、「おや、日本の方ですか？珍しいですね、こんなところお目にかかれるなんて」などと冗談を言い合っている。こんなことならもう1時間寝坊出来たのにと皆でボヤく。

　暇つぶしに小さなオーディオショップを見つけてカートリッジを調べてみようと、ひやかしに入る。
　かねてから、欲しいと思っていた、デッカのマークⅢは専用アームがなければ取り付けられないということが判ったし、ゴールドリングは日本の秋葉原と大して値段が変わらない。「他に良い物はないか？」と聞いたら、なんと日本製品のオーディオテクニカのＡＴ35を出してきた。「これは日本製だからいらない」と言うと、店のおやじは「いや、イギリス製だ、日本でこんな性能のよいカートリッジが出来るわけがない」と言い張るので、ケースを子細の調べて見ると、小さな文字で Made in Japanと書いてある。

　おやじはますます不機嫌になって「いや、日本製は箱だけだ」と言い出す。
　まったく、イギリス人の偏見に満ちた頑固さには呆れてしまう。

　やっと、1時間暇を潰して先刻の食堂へ行くと西欧圏でも最悪な料理が出てきた。それでも我々が食堂を占拠している間に入り口には長蛇の列が出来て、皆テーブルが空くのを待って居るところ見ると、ここは、まだおいしいほうなのか、と思っただけで背筋が寒くなる。

　午後の行程は予想外に時間がかかり、練習時間がかなり削られてしまった。
　夕食を終演後にまわし、開演直前までリハーサルをすることになり、また、急遽中間食の調達が必要になってしまった。

　最近は買い出しもすっかり慣れて、街角に立ってしばらく様子を見ていると、パンを抱えたおばさんが通りかかり、その方向に行けばパン屋が見つかるというテクニックを身につけた。それに、嗅覚が加われば、まず間違いない。
　しかし、午後4時をまわると、パンの調達も大変である。街中のパン屋やスーパーマーケットでやっと材料を手に入れスタッフ総出でサンドイッチを作る。
　この街はウエスト・ヨークシャーの小さな鉄鋼業の街らしいが、ヴァイオリンが盛んで、我々のオーケストラを呼ぶのも、大変熱心で、出演料も西欧で一番高いのだそうである。
　ホールはさすがに小さく、ステージの全員が乗れないため、やむを得ず編成を小さくして演奏したが、今夜の曲目、ヘンデル『コンチェルト・グロッソ』、モーツァルト『ディヴェルティメント』、ヴォルフ『イタリアン・セレナーデ』（以上3曲、斉藤秀雄指揮）、シェーンベルク『浄夜』、小山清茂『アイヌの歌』（以上2曲、井上道義指揮）といった、やや地味なレパートリーにも聴衆の反応は熱狂的であった。

　ホテルもなかなか上等で、久しぶりにバス付きの部屋を占拠してご機嫌になる。夜はイギリス国内の中間食の経費を計算するのに、大わらわ、12進法と20進法、おまけにギニーなどというロンドン特有の勘定などが混ざって、何度うやっても帳尻があわずに手こずった。

　明日はデン・ハーグまで無事に移動できてコンサートができるかどうか？
　明日の天気を祈るしかない。

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