10月14日(水)──曇り
行 程 |
終日休養日
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演奏会 |
───
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宿 泊 |
不詳(ベオグラード)
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時 差 |
-8時間(東京比)
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通 貨 |
1ディナール=約29円(ユーゴスラヴィア)
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今日は一日休養日となる。
ベオグラードは朝からどんよりとした空で気温もかなり低かったが、街の様子を見に散歩にでかけた。
意外に知られていないことだが、ソ連の衛星国家と言われる東欧諸国の中で、ユーゴスラヴィアだけはソ連の支配が及んでいない。
社会主義国であることはたしかなのだが、ソ連の社会主義とは一線を画している。一言でいえば東欧諸国の中でもっとも西寄りな社会主義国だ。
街の中の様子も日本と同じように雑然としており、社会主義国家というイメージが薄い。昨日、大使が「ユーゴは東欧の中でも例外的存在」と語っていた意味がわかってきた。
なによりもそれを実感したのは、この国に来て初めて「物乞い」を見たときだ。たしかにそれは社会主義国には存在するはずのないものだった。
大使は昨日「ユーゴは多民族国家だから事情が複雑で…」という言葉をしきりに繰り返していた。日本人としては多民族問題と言われてもそれがどれだけ大変なことなのかピンとこないが、とにかく国内の事情があまりにも複雑なため、ソ連も容易には介入することができなかったらしい。
しかしそれだけ複雑な国家を率いて、これだけ経済を発展させたのだからチトー大統領の手腕には恐れ入る。それでいて仕事は午後3時には終了してしまうし、軍事予算は国家予算の65%だというのだから驚きである。
お土産を探したが、セルビア風というのか、民族的なデザインの室内履きや革でくるんだワインポットなど、鮮やかな色彩の品物がいろいろあって、予想したより土産物類は豊富だった。ただし値段はけっこう高いようだ。
食べ物も決して悪くはないのだが、全体的に味気ない。コーヒーだけは濃くて飲み応えがあったがそろそろ東欧風も鼻についてきた。
午後はホテルで休養した。機能的だがいかにも安普請といった感じの部屋だ。今考えるとソ連で泊まったホテルはかなり良いホテルだったんだなと思う。
休養といっても洗濯と片付けを済ませたらあっという間に一日が終わってしまった。
明日も猛練習があるというのでメンバーたちは不満げである。そろそろ疲労がたまってきた頃でもあり、皆気が立っているのだろう。
ユーゴスラヴィア
ユーゴスラヴィアほど複雑な歴史を持つ国はそうそうないだろう。
どんなに簡略化された解説を読んでも途中から頭が混乱してしまう。
ユーゴスラヴィアとは「南スラブ」という意味。
第一次世界大戦後、セルビア王国が中心となってスラブ民族の統一国家を作ろうとしたのがそもそもの始まりだ。
このとき集まった民族はセルビア、モンテネグロ、クロアチア、スロベニアの4つ。
しかし、同じ南スラブ人といっても細かい民族の違いは折り合えず、それどころか近いだけにもっと根の深い諍いがこのあと延々と繰り広げられることになる。
1970年当時の支配者チトー大統領は、第二次世界大戦時にナチスを国から追い払ったゲリラ軍のリーダーで、この時にユーゴスラヴィアは「王国」から「連邦人民共和国」になる。
ここで国内はすでに6つの共和国と2つの自治州に分かれていたが、チトーは巧みなバランス感覚で多民族国家を共存させ、ソ連の干渉も受けることなく国を発展させていった。
しかし、1980年にチトーが死去したとたん、各地でくすぶっていた不満が一気に噴出し、泥沼の内戦時代に突入する。
複雑なのは、どのエリアにも複数の民族がまじりあっているため、簡単には独立できないことだった。
2012年現在、ユーゴスラヴィアという国はもはや存在しない。
セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチア、マケドニア、スロベニア、モンテネグロ、コソボという7つの国に分かれてしまった。
集まったときは4つで分かれたときは7つ。民族紛争がいかに難しいかを思い知らされる。
我々が訪問したべオグラードは現在はセルビアの首都であり、リュビリアーナはスロベニアの首都である。したがって、今の地図でいくと訪問国は1カ国増えて14カ国ということになる。(2012.10.31)