10月12日(月)──晴れ
行 程 |
午前→休養
12:30 ブダペスト出発 → 17:30 ミシュコルツ到着
夕方→リハーサル
19:30〜本番(8回目)
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---|---|
演奏会 |
テアトル(ミシュコルツ)
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宿 泊 |
不詳(ミシュコルツ)
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時 差 |
-8時間(東京比)
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通 貨 |
1フォリント=約31円(ハンガリー)
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行 程 |
午前→休養
12:30 ブダペスト出発 → 17:30 ミシュコルツ到着
夕方→リハーサル
19:30〜本番(8回目)
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演奏会 |
テアトル(ミシュコルツ)
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宿 泊 |
不詳(ミシュコルツ)
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時 差 |
-8時間(東京比)
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通 貨 |
1フォリント=約31円(ハンガリー)
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いよいよこれからは強行軍が続く。
今日はミシュコルツで演奏会がある。最初は日帰りの予定だったが、どうやらミシュコルツで泊まれることになったようだ。
しかし、地図で見るとブダペストからミシュコルツまでは直線距離でざっと見ても150キロはありそうだった。片道だけでもけっこうハードな移動になりそうだ。
主催者側は2時間で着くと言っているが、あのガタガタバスで2時間で行けるはずがない。このところ騙され続けているので、主催者の言うことはすべて疑ってかかることにしている。
12時10分にまず1台目のバスがやってきた(バスは計3台で移動しているが、だいたい3台いっぺんに来ることはない)。のんびりとした調子で荷物をバスの屋根の上に積み込み、12時35分にようやく出発する。
途中の通過時間と道路標識のキロ数から算出してみると、明らかに3時間以上かかりそうである。この調子ではリハーサル前に休む暇がない。メンバーの疲労を考えると気が揉めて、バスののろさにいっそうイライラさせられた。
昼食は11時前に済ませているため、だんだん空腹になってきた。それにやたらと暑くて喉が渇く。ただでさえ、プラハ以来風邪気味だった私は、熱っぽくて気分も悪かった。
メンバーたちも多かれ少なかれ疲労がたまっているため、車内が険悪な空気になってきた。これはまずい。今日はいつもと同じように練習をするのは無理だ。
話し合いの結果、指揮者のローテーションを変えることで対処しようということになった。今日の演奏会は、曲目は昨夜と同じなのだが、指揮者が「小泉・秋山」から「尾高・井上」に変更になる。これを昨日と同じ指揮者にすれば練習時間を短縮してもいけるのではないかと考えたのだ。
トーサイがこのように一度決めたことを変更するのは珍しいことなのだが、おそらく昨夜の演奏会の反応が思った以上によかったので、気持ちに余裕が出てきたのだろう。
結局、ミシュコルツに到着したのは5時すぎ。開演まで2時間半をきっていた。
ミシュコルツはチェコスロヴァキアの国境に近い街で、ブダペストにつぐ工業都市らしいが、本当に田舎町といった感じののどかな街だった。トカイワインの産地としても有名らしい。ホールも小さな小屋だったが、オペラを上演することもあるらしくオーケストラピットもついていた。
メンバーが空腹と疲労を訴えるため、スタッフそろって食べ物の調達をしに街へ買い出しにいくことになった。
スーパーマーケット風の店でパンやソーセージや飲み物を購入し、楽屋でサンドイッチを作る。チェコでたまたま買ったパン切りナイフがさっそく役にたった。
長時間の移動のダメージか、この日の演奏はいつもに比べると精彩がなかった。
しかたがないことだが、今後はもっと厳しいスケジュールになるので、なんとかコンディションをうまく調整しながらやっていかなければならない。
終演後、ホテルでは70人分の食事の用意ができないということで、街のレストランに案内される。
ハンガリーでは、レストランに入ると必ずといっていいほどジプシー(註*現在はロマと呼ばれている)が出てきて演奏を聴かせてくれる。
ジプシーたちの奏でる音楽はすばらしい魅力を持っている。ヴィヴラートをかける際の左手の柔軟さ、後打ちのリズムの見事さ、ヴァイオリンのポルタメント奏法の魔術……すべてに独特の個性がある。
夕べも楽しませてもらったが、今夜の演奏はさらにエキサイティングだった。メンバーたちも疲れを忘れて熱狂し、芸人たちも我々の素性を知って、次々と名技を披露してくれた。
やはりこういうムードは現地ならではの楽しさだ。
大都市の高級レストランに入っているバンドの演奏は、ソフィストケートされすぎていてあまり面白くない。
この連中の演奏の魅力は「泥臭さ」にある。
「嘆きのヴァイオリン」といったちょっと気恥ずかしくなるような表現も、彼らにかかるとぴったりはまってしまうのはさすがというよりほかない。
ロマ(ジプシー)
ハンガリーで初めて生で聴いたロマ(ジプシー)の演奏の真に迫った表現力には本当に圧倒された。
彼らは、9〜10世紀頃、インドの北部から移動を始めた民族だと言われている。
かつてはジプシーと呼ばれ、シューマンの『流浪の民』に歌われているように、定住することなく常に移動を続け、どの国の文化・生活習慣にもなじもうとしないため、行く先々でうさんくさい人種として差別されてきた(ナチスはユダヤ人とともにロマも絶滅の対象にしていた)。
「ジプシーは右手にヴァイオリン、左手にコインをもって生まれてくる」と言われる通り、彼らは音楽と舞踊を得意とし、もっぱらその芸で生業をたてているが、その一方でヨーロッパ各地で子供を使って観光客相手にかっぱらいを働くジプシーが多いことも有名である。
「ジプシー」という呼び名が永年の差別を象徴しているという考えから、最近は「ロマ(『人間』という意味)」と呼ばれるようになったが、本来この呼び名はジプシーの中でもロマニ系と云われるグループの呼び名で、ジプシー全体の呼称ではない。
さて、彼らの奏でる音楽だが、確かに決して上品とは言えないが、一度聴いたら忘れられないほどのインパクトを持っている。
ロマのバンドは、通常ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、クラリネット、ツィンバロン(ロマ特有の楽器で横に張られたワイヤーを撥で叩く)という編成であるが、ソロ・ヴァイオリンとツィンバロンが主役で緩急自在に音楽を操る。
この独特の音楽はクラシック音楽にも大きな影響を与え、例えばリストの『ハンガリア狂詩曲』やブラームスの『ハンガリー舞曲』などは明らかにロマの音楽がベースになっている。
しかしマジャール人(ハンガリー人の中心民族)にとっては「ハンガリー文化=ロマ文化」と世界に認識されることには非常に抵抗があるようで、そのイメージを払拭するためにバルトークやコダイなどの作曲家がマジャールの伝統的な音楽を掘り起こして記録に残すようになった。
現在はEUに加盟しているハンガリーだが、最近は民族主義的傾向が再び強まっていて、ロマやユダヤ人に対する排斥機運がたかまり、有名な学者や芸術家がハンガリーに住むことを嫌っているという現象が起きている。
一方でオルバーン首相は「昔から周辺の国や地域に住んでいたマジャール人に対してはハンガリーの国籍を認める」という政策を打ち出し、ニ重国籍を認める政策をとったため、周辺諸国にハンガリーの影響力が強まるのではないかと懸念する声もあるようである。(2012.10.22)