9月27日(日)──曇りのち雨
行 程 |
終日ホテル内にて休養および練習
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演奏会 |
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宿 泊 |
ホテル・ロシア(モスクワ)
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時 差 |
-6時間(東京比)
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通 貨 |
1ルーブル=約400円(ソビエト連邦)
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今朝になって、ようやくこれからのモスクワでの予定が知らされた。
最初の演奏会は明日モスクワ大学大ホールで、二回目の演奏会はあさってにチャイコフスキーホールでおこなわれるとのことだった。
楽器がちゃんと届いているのかどうかが心配だったが「大丈夫。心配ない」というのでとりあえずホッとした。
(註*自分の楽器は通常自分たちで機内に持ち込むのだが、コントラバスと和太鼓については大きすぎて持ち込めないので預けていた)
朝食。ロシア独特の強烈に酸っぱい黒パンは、満州でロシア兵からもらったパンと同じでなつかしい味がした。 しかし、安心したのもつかの間、さっそく予定外のトラブルが発生した。23日以来、もう3日も演奏していないので、今日は一日練習をおこなう予定だったのだが、練習場所の手配ができていないというのだ。「なんとかならないのか」と交渉したがどうにもならず、結局ホテル内で何班かに分かれて分奏をおこなうことになった。
分奏を始めてしばらくしたところで、私の部屋に電話がかかってきた。
出るとなにやらロシア語でわめき散らしている。
まったく意味がわからず困り果てていると「ヴァイオリン」がどうのこうのと言っているのが聞こえた。どうやら練習の音がうるさいと言っているようだ。
しかたがないので練習は中止することになった。
ところがこの電話、なんとメンバーの学生による「いたずら」だったという話があとで耳に入ってきた。
ただでさえ、なにが起こるかわからない国でハラハラさせられているというのに、まったくたちの悪いいたずらだ。
もちろん、練習中の学生にこんなことができるはずはないので、犯人は楽器がまだ手元に届いていないコントラバスの連中だろう。
しょっぱなからこんなていたらくではメンバーになめられて示しがつかなくなってしまうと思ったが、疲れて部屋で寝ているトーサイの耳に入ったら怒りまくって大騒ぎになることは目に見えていたので、今日のところは穏便に済ませようと、あえて犯人探しもおこなわず、目をつぶることにした。
ホテル・ロシアのロの字型の真ん中の中庭部分。中庭部分を写したものはなかなかないので貴重な写真だ。
気分直しにスタッフの川崎氏とホテル内を探索してみることにした。
といっても迷子になっては大変なので、遠くまで行くことはしなかったが。
まず、今朝支給された7ルーブル(約2,800円)と10ドル(約3,600円)を崩しに2階の両替所に向かった。
5ルーブル札を両替し、ついでにはがきと切手を購入した。
その後、なにか飲み物を飲むため8階のカフェに行くことにした。とにかく空気が乾燥していて猛烈にのどが乾いてたまらなかったのだ。
延々歩いてようやくたどりついたカフェでメニューを見て驚いた。
外国人向けホテルなのに英語の表記がまったくないのだ。
見渡す限りキリル文字だけ。これでは何もわからない。
「そういえば川崎さん、キリル文字ちょっと読めるって言ってたよね」
川崎氏の語学力にすがってメニューを読んでもらおうとしたが、彼も無言になっている。
「……えーと…チャイ?……これは紅茶だよね」
チャイくらい私にだって読める!
結局、我々に解読できたのはコーヒーと紅茶、そしてリムナードだけだった。
リムナードは、発泡性のリンゴジュースで、ロシアでは日常的に飲まれている飲み物だ。喉がカラカラでコーラを一気飲みしたい気分だったので、じゃあこれにしてみようとリムナード(15カペイク=約60円)を注文した。
が、コーラの代用品としてはまったく期待はずれの飲み物だった。
まずぬるい。炭酸の量もケチっているのか炭酸飲料というにも微妙な感じだった。
リンゴジュースというが、あきらかに合成されたような味でリンゴとは似て非なるものだった。
口直しに今度はチャイ(35カペイク=約140円)を頼んだ。
(註*今の日本では、チャイといえばミルクで煮だした紅茶のことだが、ここで出てくるチャイはただの出がらしのような薄い紅茶だ)
なぜ紅茶にしたかというと、朝に飲んだコーヒーがまずかったからだ(いわゆるトルコ式のコーヒーで猛烈に苦い)。
2杯目のチャイを飲みながら窓の外を眺める。
スターリン様式の巨大な建物がガラス越しに歪んで見えた(ソ連の板ガラスは平らでないためなんでも歪んで見えるようだ。鏡もでこぼこで、自分の顔が自分でないような不思議な顔に写る)。
カフェの窓から見えたスターリン様式の建物。これは芸術家のためのアパートらしい。
スターリン様式とは、スターリン時代に作られた建築様式のことで、塔が3本並んでシンメトリーに作られているのが特徴である。
ニューヨークの摩天楼に対抗して作られたということだが、モスクワには全部で7つあって「セブンシスターズ」と呼ばれている。どれもよく似ているので、一見しただけでは区別がつかない。
明日、演奏会をおこなう予定のモスクワ大学も「七姉妹」のひとつである。
記録のために写真を撮っておこうと思ったが、ソ連で無闇に写真を撮ると捕まると言われていたので、一応カフェのおばさんに「撮ってもいいか?」とカメラをかまえる仕草をして聞いてみたが不機嫌そうに「ニエット(No)」と言われる。
「やっぱりダメか」とあきらめていたところ、しばらくしてからそのおばさんが戻って来てテーブルの上に3合瓶ほどの大きさの牛乳瓶をドカンッと置いた。
動転して「ニエット スパシーボ!(No Thank you)」などと思いついたロシア語を並べ立てたが、おばさんはかまわずに行ってしまった。
しかたなく、川崎氏とその牛乳を飲んだ。
飲みながらなぜ牛乳が登場したのか考えてみたが、どうやらカメラを撮る仕草が「牛」に見えたらしい。
最初の「ニエット」は「何を言ってるのかわからない」という意味の拒絶だったのだろう。
おばさんなりに「これがほしいのか」と解読して持ってきてくれたようだ。
会話帳を棒読みしたのでは愛想がないと思って、よけいなサービスをしたのが仇になってしまった。
しかし、牛乳は今までの飲み物の中で一番おいしかった。
午後になって、日本茶のティーバッグでお茶をいれてみようと思い立った。
今度は慎重を期して会話帳を手にし、デジュールナヤ(註*鍵番のおばさん。当時のソ連のホテルには、各フロアごとに鍵番のおばさんがいて、宿泊客の動向を探りながら鍵の管理もしていた)のところへ熱湯を頼みにいったが、この会話帳を作った人はよほどのものぐさか、のどが渇かない人らしく、どこを探しても「熱湯」という単語がみつからない。
悪戦苦闘したが、なんとかかんとか話が通じた。
しばらくすると、お湯を持った巨体のメイドが部屋を訪ねてきた。
感謝の意を込めて10カペイク(約40円)のチップを渡してみたが、お礼を言うでもなく、笑うでもなく、じろりと人の顔を一瞥しただけで行ってしまった。
(註*外国ではチップを渡せば親切にしてもらえると思い込んでいたが、考えてみたら当時のソ連にはチップの習慣はなかったので、効果がないのは当然だった)
次に困ったのがトイレだった。水がチョロチョロとしか出てこないのだ。
再び鍵番のおばさんのところに行って「トイレの水洗が壊れている」と抗議したところ、またもや、先刻のメイドが巨体をゆすりながら現れた。
メイドはバスルームの前まで行くと、人差し指を動かして私を呼んだ。
恐る恐る行ってみると、彼女はやにわに腕まくりをして、私の足ほどもある腕でコックをグイと引いてみせた。
水は激流となって流れていった。
結局、わが身の非力さを思い知らされただけだった。
以後は足で蹴っ飛ばすことにした。
(註*2000年以降にこのホテルに泊まった人の日記がネットに載っていたのを読んだが、リニューアル後もトイレ事情は変わっていないようだった)
それにしても、このホテルの器具類の頑丈さには本当に驚かされる。
並大抵のことでは壊れないようにできているのはけっこうだが、頑丈すぎて日本人の力ではびくともしない。
ホテルの入口の大きなガラス扉など、小柄な日本女性では体当たりしても開かないほどだ。
夕刻、秋山氏が分奏を担当していたグループが、秋山氏の引率で赤の広場まで散歩に行くというので、大目にみて許可したところ、案の定他のメンバーから不満が出た。
今後は気をつけないと、行動の自由が少ないだけに、面倒なことになりそうである。
一方、わずか一晩で早くも部屋割りに苦情を言ってくる学生が出てきた。
一応、半年前に希望を聞いて決めた組み合わせだったが、女の子のグループの改編速度はこちらが考える以上に早いようだ。